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1987.7.20〜1987.7.27  JTB パレット 
Hawaiian Regent


懸賞でGETしたHAWAII。

ランクアップしたものの部屋は10階以下の低層階
ラナイからの景色はお隣のHoliday Innのプールとちょっと寂しい
ものでした。
何度も前を通ったハイアット・リージェンシーに憧れてしまいました。

前半は、時差ボケがなかなか取れず苦労しました。

船酔いするからと他の方にいただいたディナークルーズ・シーライフパーク&ハナウマ湾、カウアイ島1日観光等々、ビギナーらしくオプショナルツアー中心に思いっきり楽しみました。

このときはまだ、一生に一度の海外旅行の予定でした。

(ホテル名は当時のものです)
<1>


1990.9.7〜1990.9.13 JTB Navi
Outrigger Waikiki Tower

まさかの2度目のHAWAIIです。
ホテルはゴージャスではありませんが立地が最高でした。
買い物もビーチもすぐそばです。

2度目の気の緩みでしょうか?
ハプニングがありました。
カラカウアAve.のリバティハウスの前で・・。

日本語ペラペラの外人が私の髪にプルメリアをつけようとしました。
髪の毛に触られるのが嫌で,受け取りました。
するとヤツは鉄板に釘で書いたような変な絵を2枚を差し出しました。
『こんなもの、いらない』と返そうとすると、
『HAWAIIでは、一度受け取ったものを返すのは失礼にあたる』
と言うのです。
どこから来たか?とか自分は東京に居た、とひとりで実によくしゃべります

ついにヤツは『少し寄付してください。』と言い出したのです。
『絵を返すので、断る』と言っても一向に引き下がりません。
『普通は$40、$50当たり前』と来た。
30分くらい粘り、どうしようもなく、$5渡しました。
『YOU、貧乏』と言い捨て、
手から絵を1枚取り返して去っていったのです。
今考えると、その場を走り去ればよかったと思います、
動揺していたのでしょうか。

これ以外は楽しいHAWAIIでした。
今となっては笑い話ですが・・・。

(ホテル名は当時のものです)
<2>


1991.4.25〜1991.5.1  JTB パレット
Sheraton Waikiki


スペシャル企画でした。

リーズナブルなお値段でリッチなホテルに泊まることできました。
部屋は最上階のマウンテン・ビュー。
最高の夜景を楽しむことが出来ました。

部屋にはコーヒーメーカーがあり、朝はABCストアで買ったサンドイッチで軽く済ませることができました。

ワイキキビーチに面したプールは今まで最高のロケーションでした。
<3>


1991.12.27〜1992.1.1  JTB 
Jazチャーター便
Hyatt Regency Waikiki


この頃は札幌直行便は飛んでいませんでした。

休みが多く取れる年末にHAWAIIに行こうと考えました。
ツアーが発売になる前の8月にJTBに予約を入れました。
12.・27発のシェラトン・ワイキキに泊まるコースでカウントダウンをして、年明けに帰国するという贅沢なものが取れました。

その後、JTBで、新婚旅行のときに手配をしていただいた
Sさんと出会いました。
彼女の情報によると年末に千歳からHAWAIIへのチャーター機が飛ぶというのです。
詳細が来ました。チャーター機のため延泊ができない4泊6日。
しかし、お値段はひとり6万円以上の差がでました。
悩んだ末にチャーター機を選びました

ホテルは憧れのハイアット・リージェンシーでした。
部屋は、マウンテン・ビューでもなく、オーシャンビューでもない位置。
六角形のタワーのせいか、部屋は狭く感じました。

あっという間の4泊6日でした。出発日のできごとです。
エレベーターで品のいい老婦人と一緒になりました。
『何階ですか?』と訊ねると
『キーがないとダメですの・・・・・』
リージェンシー・クラブに泊まっている方でした。
そして、さらに
『今日、お帰りですか?HAWAIIは今日が一番いいのですよ、毎年・・・』
と微笑まれました。

チャーター便なんだもん、しょうがないじゃん!
いつか、カウントダウンしてやる!そう決意した私達でした。

12.・31の便で帰国、機内ではいつのまにか年が明けていました。
機内ではちょっとした年明けのイベントみたいなものがありました。

(ホテル名は当時のものです)<4>


1992.12.11〜1992.12.19  ランナーズ
(東芝ツーリスト)
第20回ホノルルマラソンツアー
 Sheraton Waikiki


夫が仲間達とホノルルマラソンに出る!
と言い出したのは1月くらいのことでした。

マラソンなんて、走れるわけないっしょ!
私は応援チームになる予定でおりました。
ところが『走らないと連れて行かない!!』と。
HAWAIIに行けるのなら、とフルマラソン出場を決めたのでした。

人数はメイヤーズ・ウォーク参加者を含めて10人。
HAWAIIが初めての人もいました。
やっぱりオンザビーチのホテルで海が見える部屋がいい、買い物に便利。
希望をすべて叶えたらシェラトン・ワイキキになりました。

マラソンツアーというのは、マラソンのエントリー代行(エントリー料金は別にかかります)はもちろん、コースの下見・試走・ユニフォーム(ダサイ)・マラソン当日の朝ご飯、送迎、ゴール後のケア、昼ご飯、完走パーティー(この送迎)
ーこのパーテイーにはゲストランナーが参加します
(このときは増田明美さんでした)ー
完走証の受け取り、いたれり尽くせりです。
現地では専門のトレーナーが相談にのってくれたりします。

添乗員まで付くので、当然お値段はそれなりにUPします。
ランナーズはマラソン専門の雑誌です。
ここのツアーは様々な旅行会社が担当し、コースにより客が割り当てられる仕組みになっていました。
(こちらで旅行会社は選べません)

スタート地点では、上岡龍太郎・横山ノック・秋野よう子がTVのインタビューに答えていました。

初めて見たダウンタウンのイルミネーションは感動でした。
しかし、順調なのははじめだけ。
にわかランナーには厳しい42.195kmでした。

会社に『ホノルルマラソンに行く!』
と言ってきた私は意地でも完走証を手にしなくてはなりません
ハイウェイでは、既に折り返したランナーが激励してくれます。
後半は疲労と激しい筋肉痛に耐えながら必死で歩きました。

ゴール地点のカピオラニ・パークに入ると大勢の人たちが声をかけてくれました。
『あと少し、頑張って』
既にゴールした人、応援の人、他のツアーの人・・。
勇気が湧いてきます。
ほとんど、完歩で感動ゴールをしたのです。

涙のゴールでした。
<5>




1993.7.5〜1993.7.12  ルック JTB
 Sheraton Princess Kaiulani


弟が結婚して、新婚旅行の専属添乗員?
として同行することになりました。

ホテルは買い物、ビーチに近い便利さからここを選びました。
価格はリーズナブルでビューは最高でした。
本当はオンザビーチのホテルを選ぼうとしたのですが
弟の『部屋にいる時間は少ないから海の前じゃなくてもいい、
その分ゴルフをしたい!』
これで、決定しました。


家族と行くHAWAIIは初めてでしたが、あまり気を使わずに済むのでラクでした。
また、ビーチに行くときは交代で荷物の番ができました。
お互いにツーショットの写真がいっぱい撮れます。


クアロア牧場でバギー・ジェットスキー・ヘリコプターを楽しみ、射撃にも行きました。
できたばかりのワイケレのゴルフコースで4人でゴルフをしました。
新婚旅行なので自由行動もあり、でした。<6>


1993.12.10〜1993.12.16  東急観光
第21回ホノルルマラソンツアー 
Hawaii Prince Hotel Waikiki


2年連続のホノルルマラソン出場となりました。
去年は高すぎた!
さらにシェラトンはとってもよかったけど、スタートに近い方が何かと便利でした。


今回はスタートに近い、ハワイプリンスホテルにしました。
ースタート地点はアラモアナSCの前あたりです。
実際のスタートはもっと前ですが、ゴール予定時間の遅いランナーはサンタの前くらいですー


ホテルは日本企業の経営のホテルらしく高級感があります。
ラナイはありませんが窓が大きく、
ヨットハーバーが見渡せます。
バスタブとシャワーブースが分かれていました。
清潔感があり、私は好きなホテルです。


買い物にはちょっと不便ですが、アラモアナは徒歩圏内。
アラモアナ、ワイキキ方面にシャトルバスが出ています。
また、ゴルフ場を持っているので、ゲストはお安くプレーできます。
とっても綺麗なコースでした。
こちらにも、シャトルがでます。
<7>


1994.8.19〜1994.8.26  西武トラベル
マウイ島&オアフ島 
Maui Prince Hotel
&
Hawaii Prince Hotel Waikiki


ネイバーデビューです。
HAWAII島とMAUI島のどちらにするか迷いました。
東急観光のカジュアルブランド『クラッセ』でハワイ島のツアーが取れました。
その後、問い合わせしていた西武トラベルからの回答。
決め手は簡単、値段が安かったから。
これだけでネイバー・デビューはマウイと決定。

ツアーと行っても、こちらの希望どおりにアレンジして
もらいました。
個人旅行感覚でした。
マウイの半日観光以外は他の人と一緒になることもなく、
送迎も貸切状態。


マウイプリンスホテルはワイレアよりさらに南にあります。
とてもきれいなマケナビーチの向こうには
シュノーケリングで有名なモロキニ島が見えます。
ホテルは静かないいホテルでした。
レンタカーのない私達は、ビーチ、ゴルフと実にのんびりした滞在でした。


ワイキキはハワイ・プリンスです。
2度目の滞在です。

このとき、プールデッキで、神田正輝さんを見かけました。
帰ってから週刊誌を読むと、
松田聖子さんが閉店後のシャネルを貸し切って買い物をした
記事が載っていました<8>


1995.4.27〜1995.5.4
東急観光クラッセ
Hilton Waikoloa Village&
Hilton Hawaiian Village


ハワイ島&オアフ島
今年はハワイ島に決定。
話題のヒルトン・ワイコロア・ヴィレッジです。
広い敷地に3つのタワー、プール、レストラン、そしてイルカが泳ぐラグーンがあります。
リゾート内はモノレールやボートで移動します。
広いので、プールにいても混雑がありません。

ワイコロア・リゾートのゴルフコースでゲスト料金でプレイできます。
溶岩に囲まれたコースはいかにもハワイ島らしいです。


しかし、本当のハワイ島は何一つ体験していませんでした。


ワイキキでもヒルトンに泊まりました。
GMのピーク、ダイヤモンドヘッドタワーの部屋は低層階。
お隣のハレ・コアホテルの増築工事のため、ザワザワしていました。

ペンギンの餌付けがとってもかわいかったです。

帰りはなんとビジネスシートでした。
今、考えるとこれがモノクラスなんでしょうね、あの頃はこんな言葉も知らずに・・。
<9>


1995.12.6〜1995.12.14  ジェットツアー
第23回ホノルルマラソンツアー 
Nikko Ilikai Waikiki


今回からマラソンは個人エントリーをすることにしました。
エントリー用紙はホノルルマラソンの日本事務局から郵送で取り寄せます。
(最近はインターネットでエントリー用紙を取り寄せしすることができ、エントリーも簡単になってきています)

これに合わせてスタートに近いコンドミニアムを探しました。
候補にあがったのはヒルトン・ラグーン・アパートメントとイリカイでした。

今回も9人と人数が多いので、ツアーにしました。
決定するまでに実にいろいろありました.
ジェットツアーのイリカイが取れたので、ここに決めました。

ナンバーカード(ゼッケン)はオフィシャルホテルである、アウトリガー・リーフへ取りに行きます。

ホテルはお祭り騒ぎです。
エネルギー補給のサンプルや筋肉疲労のエアゾールなど様々なものがりあります。
『ホノルルマラソンGOODS』もたくさんあります。
アルバムの申し込みもできます。

マラソン終了後はここへ完走証を取りに行きます。
旅行会社に任せるよりも、自分でエントリーした方が実感が増した気がします。

イリカイはステューディオタイプです。
広めの部屋にフルキッチンが付いています。
バスタブがなくシャワーだけ。
ランドリーは各フロアにあります。

マラソンの打ち上げは『田中オブ東京』で行いました。

滞在が長かったので、マラソンの後はゴルフやワイケレアウトレット・パラセーリングなどそれぞれに楽しみました。


この時期ならではのGOODSはクリスマス用のライトです。
10ドル前後で買えます、おみやげにも好評です。

※この後、ジェットツアーは倒産しました。<10>




1997.7.13〜1997.7.20 アロハセブン
マウイ島&オアフ島
Sheraton Maui
&
Sheraton Moana Surfrider


夫の同僚から『ハワイで結婚式をしたいから、いっしょに行こう!』
お誘いがありました。
憧れのハワイアン・ウエディングと、即OK.。
私は早速、ワンワンピースを買いました。
しかし、旅行は決まったものの、結婚式が決まりません。
気を揉んでいると『結婚式をすると1日つぶれちゃうから』とあっさり中止。
(ワンピースは?)

新婚旅行ということで、ちょっとリッチにホテルを選びました。
アロハセブンのスペシャル企画でお得な値段でした。

シェラトン・マウイはカアナパリのショッピングセンターも徒歩圏内です。


ホテルも広々としています。
シュノーケリングのポイントなので海がきれいです。
夕方には有名なトーチセレモニーがあります。

カアナパリのゴルフコースでゲスト料金でプレーすることができました。
2日連続、トワイライトで周りました。

タクシーを有効に使い、ラハイナの街を歩くことができました。

ワイキキは憧れのシェラトン・モアナ・サーフライダーです。
ダイヤモンド・ヘッド・ウイングはビューはよかったのですが部屋は狭く感じました。

バニヤン・ベランダのアフタヌン・ティーをいただきました。

このとき、初めてダイヤモンド・ヘッドに登りました。
絵葉書のようなワイキキビーチが実際に見られるわけです、感動でした。
カイマナ・ギャラリーでニック加藤さんをお見かけしました。

ちょうど、夏のバーゲンが始まりました。
いいことだらけのハワイでした。
<11>


1998.12.24〜1998.12.30 ルックJTB
マウイ島&オアフ島
Aston Kaanapali Shores
&
Aston Waikiki Sunset


この年はとても忙しい1年でした。
ゆっくりしようとマウイに決めました。
レンタカーデビューもしました。
この時期JTBでは5泊7日までが最高でそれ以上は受け付けてくれません。

アストン・カアナパリ・ショアーズはカアナパリのホエラーズ・ヴィレッジから車で5分くらい。
まわりにはたくさんのコンドミニアムがあります。

部屋はガーデンビューでした。
リビングもベッドルームも広々です。
室内にランドリーがあるのが、便利ですね。
目の前にはスター・マーケットがあり、食材も豊富です。

マウイのクリスマスはとっても静かなものでした。


マウイからホノルルへの移動の朝、とんでもないことが起こりました。
パーキングで記念写真を撮り、車に乗ろうとした瞬間!
『あれ?』
エンジンがかかったままの車のドアがロックされていたのです。
真っ青になりました。
まさかのために借りた携帯も緊急連絡先のメモも車の中です。
夫はレセプションに
『Please Help Me』
セキュリティーのお兄さんがやってきました。
お兄さんが針金ハンガーで格闘すること数10分。
(すっごく長く感じたけど)
ロックが解除され、お兄さんにチップを渡し、無事に出発!

ワイキキはワイキキ・サンセットです。
こちらはマウンテンビューでした。夜景がきれいでした。
同じ1BRでもマウイに比べるとかなり狭いです。

ワイキキでは憧れのハレクラニのサンデー・ブランチを
食べることができました。
予約ナシにもかかわらず、ダイヤモンド・ヘッドが見える
素晴らしい席を用意していただきました
<12>


1999.12.9〜1999.12.15 ジャルパックAVA
第27回 ホノルルマラソン
Ilikai Nikko Waikiki


1995年のイリカイがメンバーに好評でした。
スタートに近いので、スレスレまでゆっくりできます。
スタート地点の簡易トイレに並ばなくてもOKです。

今回は着いた日から実によくシャワーが降りました。
気温も低めです。
AVAの係り員も珍しく寒い!と言っていました。
いったん降り出すとなかなか止みません。
ついにABCストアで傘とカッパを買いました。

ワイキキトローリーでチャイナタウンに出かけたのですが、大雨の日のトローリーは悲惨です。
オープンエアーなので、横殴りの雨が吹き込んできます。
座るところがありません。
大人は中で立っていることができますが、子供は座らなくてはいけないようです。
親がティッシュで拭いたりと、苦労してしました。

この日の夜に乗ったトローリーはビニールのカーテンのようなシートを下ろしていました。

マラソン前日2日遅れで、仲間達がやって来ました。
応援を含めて総勢16名、過去最高です。

ゼッケンのピックアップに行き、オフィシャルアルバムを頼みました。
オレンジのTシャツを着ているスタッフに声をかけると写真を撮ってもらえます。

この日、イリカイホテルの最上階、サレントスでカーボローディングパーティをしました。
クリントン元大統領がお忍びでやってきたというイタリアンレストランです。
一面ガラスの個室を用意していただきました。
ヨットハーバー〜アラモアナ・ダウンタウンの夜景が素晴らしくきれいでした。(外はどしゃ降り・・・)


翌朝2時起床。やはり大雨です。
こうなったらやるっきゃない!カッパを着て出陣です。
外は雨、それでもやる気満々のランナー達の熱気でいっぱいです。
私達の足でハイウエイの入り口くらいまでは、何度も雨に降られました。
カッパが重宝しました。
結局、太陽の顔は見られませんでした。

今回はスポーツクラブで筋トレを中心にがんばったはずだったのですが、結果は散々。


この日は『田中オブ東京』で打ち上げをしました。
おいしいストロベリーダイキリを一気に飲み干したわたくし。
飲み干した瞬間、『あっ、これ、アルコールだった』
と心のどこかで、いや〜な予感がしました。
疲れと脱水状態で酔いが回ってきました。


シェフのパフォーマンスが始まりました。
飛び跳ねたえびのソティーに『生きてる〜』とギャグをかました頃でした。
大好きなえびを食べようとしたときに、意識が遠くなるのを感じました。
このままでは、ヤバイ!みんなに内緒でそっと部屋に戻りました(涙)。

この日の真夜中、ひとりで冷たいステーキを食べました。


翌日はメンバー数人でタクシーでカピオラニ公園に完走証を取りに行きました。
ここでもオフィシャルアルバムの撮影スタッフがいました。

翌年、5月頃に郵送されて来たアルバムには実にたくさんの写真が載っていました。
いい記念になりました。
今度はいつ走れるのかな?


(ホテル名は当時のものです)<13>


2000.9.16〜2000.9.24 ルックJTB
マウイ&オアフ
Aston Kaanapali Shores
&
Aston Waikiki Sunset


1998年と同じ、JTBのコースにしました。
アコモも同じく、カアナパリ・ショアーズです。
今回の部屋は駐車場ビューというのでしょうか?

マウイでの目的はハレアカラまでのドライブです。
カアナパリから2時間くらいだったでしょうか。
まるで、宇宙にいるかのような素晴らしい光景に感動しました。
標高3055m、やや空気の薄さを感じました。
クレーターをトレッキングできるようです。
次回は歩きたいなぁ・・・。

ワイキキも前回と同じく、ワイキキ・サンセットです。
今度の部屋はラナイからダイヤモンド・ヘッドが見渡せる
オーシャン・ビューでした。

OLIOLIトローリーで、ロケ中の西川きよし・かの子親子に会いました。


9/20、ワイキキで夫の会社のNぞーくん&N子ちゃんのウエディングがありました。
ハワイカイのエンジェル・ガーデン・シーサイドチャペルでした。
アットホームな、いい結婚式でした。


この日、ワイキキでのレンタカーデビューをしました。
結婚式が終わり、午後からワイケレに行きました。

翌日は東周りでオアフ島をほぼ1周しました。
ノースショア、ハレイワのマツモト・シェイブアイス、ドールパイナップルパビリオン。
レンタカーは便利です。
行動範囲がぐ〜んと広がりました。

久しぶりにダイヤモンド・ヘッドに登りました。
昼は噂のTODAIのランチブッフェを食べました。

9/22、アロハフェスティのパレードがありました。
カラカウアAve.が歩行者天国になり屋台?が並びます。
FMの生放送があちらこちらで行われていました。
真夜中まですごい人でした。
この喧騒の中で、帰りの支度をしていました(涙)<14>


この機会に今まで行ったハワイツアーについて、まとめてみました。

約10年、ハワイのツアーの価格は下がっているように思います。
内容もかなり、充実したものになりました。
ほとんどのツアーはホテル指定で、市内観光もなくなっています。

我が家は実にいろいろなツアーに参加しました。
ほとんどの場合、ピーク時より日程をずらしているため、比較的お得な料金で内容が充実していました。




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